地域共創センターでは、地域への「知の提供」のために、教育・研究・支援の成果を活かした学術的・文化的講座や、地域の皆さまのための教養・スキルアップ講座など、多彩な講座を開講しています。

 今回の公開講座は、宗教教育研究センターとの連携講座として
5月30日(木)~7月4日(木)18時30分~20時00分に、本学講義室において、田代 俊孝 学長による「逆転の親鸞」というテーマで毎週木曜日、全5回の講義を開催しています。

 この講座は、本学の『宗教教育研究センター』との連携による講座で、本学の学生に仁愛学園の建学の精神である聖徳太子の和の精神、親鸞聖人の教えに基づく人材の育成を推進するなか、地域の皆さまにも広く講座として開講したものです。

 1回目の講座では、「善人なんかになれないー善人と悪人―」という講題で先生は「善人」、「悪人」とは何なのかを特に『観無量寿経』と『涅槃経』を引用してお話しくださいました。善導大師以前の『観無量寿経』の「王舎城の悲劇」の解釈は、お釈迦様に『観経』を説いてもらうための御縁作りであり、芝居であるという受け止め方です。しかし、善導大師の解釈は韋提希夫人を「実業の凡夫」と見ており、親鸞聖人は『教行信証』「化巻」で韋提希夫人を「悪人往生の機」と言われています。一方、「信巻」では、『涅槃経』により五逆罪を犯した一闡提(断善根)の阿闍世が仏の「月愛三昧」で救われたと説かれています。悪を慚愧し、仏の大悲心に救われています。それは、「廃悪修善」ではなく「転悪成善」であり、悪を廃するのではなく「転ずる」教えです。そこに悪人が悪を慚愧することによって仏の智慧と慈悲によって救われているのです。先生は、韋提希と阿闍世の救いに悪人正機の教えが示されると述べられました。

 最後に、先生は「人を通して法に出遇うことが大事です。人に依るだけでは「おっかけ」です。人を通して語られる法に出遇うことが大切です。こうして、仏法にお遇いして得られる徳が、私の煩悩にまみれた悪人を転じさせるのです。煩悩がそのまま材料となって悟りになるのです。煩悩を捨てて悟りを得るのではなく、法に出遇うから悪人だと自覚して、凡夫の心がそのまま材料となって仏心となるのです。即ち、それが真実の世界(如)からやってくる仏のお働き(如来)なのです。」とお話をまとめて講座を終了しました。

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