2025年03月27日令和6年度学位記授与式 学長式辞
名残り雪もみぞれに変わり、ここ越前の里に、春がおとずれようとしています。キャンパスの裏山には、雪割草が顔を出しています。そんな中で今日、福井県知事代理・副知事 鷲頭美央様をはじめ多数のご来賓の方々のご臨席を賜り、令和六年度の仁愛大学ならびに仁愛大学大学院の学位授与式を挙行できますことは、たいへん大きな喜びであります。人間学部心理学科(学士心理学)87名、コミュニケーション学科(学士コミュニケーション学)51名人間生活学部健康栄養学科(学士栄養学)51名、子ども教育学科(学士教育学)52名、計241名に学士の学位を、また、人間学研究科臨床心理学専攻(修士臨床心理学)15名に修士(臨床心理学)の学位を認定致します。授与された皆さん、まことにおめでとうございます。そして、御列席の保護者の皆さんにも心からご祝意を申し上げます。併せて、ご子息・ご息女の在学中に本学へ寄せていただきましたご支援、ご協力に対しましても心より謝意を表します。
さて、皆さん、在学中に培われた教養と専門的な学識や技能・体験をベースとして一人ひとりがさまざまな進路に向かって、それぞれの場で活躍されていくことに、私は大きな期待を寄せるものであります。
本学は「仁愛」という大学名が示す通り、『仏説無量寿経』の「慈恵(じえ)博く施し、仁愛兼ねて済う」ということを建学の精神にしております。「仁愛兼済」という本学の建学の理念に基づく人間的学びも、皆さんの人生に大きな意味をもつものと確信しております。この精神を平易に言えば、「互いに『いのち』を尊び、共生社会の実現を目指し(仁愛)、世を照らす灯となって、それを実践する(兼済)。」ということです。そして、それを実践された親鸞聖人の人間観を教育の根本にしております。その親鸞に学んだ明治の先人に井上円了という人がいます。彼は、新潟県出身の浄土真宗の僧侶で哲学館、のちの東洋大学を創設した人です。彼のことばに「諸学の基礎は哲学にあり」ということばがあります。諸学、つまり、あらゆる学問の基礎には哲学がなければならないという意味です。さらに詳細に言えば、彼は浄土真宗の僧侶ですから、意図するところは仏教哲学という意味です。実学、つまり、実用的な学問が好まれる昨今、改めて、先人のこの言葉に耳を傾けたいと思います。昨今、アメリカのトランプ大統領に影響されてか、「〇〇ファースト」とか「ディール」と言う言葉がよく遣われます。それは「自分第一」、そして「取り引き」を意味します。つまり、自分の為に損か、得かという価値観です。いうまでもなく、その結果はエゴと分断の社会です。いまや、世界は対立と分断に向かっています。政治にも、経済にも哲学が見られません。ビジネスの世界でいえば、かつて日本の経済の礎を築いた近江商人とその流れの大阪商人には、浄土真宗による哲学がありました。東近江や大坂船場の商家には床の間に大きな仏壇があり、毎朝、旦那から丁稚にいたるまで手を合わせていました。船場の商家では、御堂筋の北御堂・南御堂の朝夕の鐘の音が就業の始めと終わりの合図でした。そして「おかげさま」の生活をし、「三方良し」の商法、つまり、売り手良し、買い手良し、世間良しの三方よしを基本としました。仏の前で自己を省み、買い手や世間のことを気遣い、「如来大悲の恩徳に感謝する」「お蔭さま」の哲学を持っていました。それが、その後は北前船などで東北、北海道など全国に広がっていき、浄土真宗の全国的伝播にもなりました。損か得かの価値観で幸福にはなれません。それを超えるには、生活の中の哲学が必要です。哲学や倫理・宗教が必要なのです。あらゆる分野において同じことが言えるのです。すでに、世はAI技術、つまり、人工知能に取って代わられる時代になりました。人が機械に使われる時代になりそうです。その意味でも、それ使うためには哲学や倫理・宗教がいよいよ重要となってくるのです。人間としての在り方を問い、自然や神に畏敬の念をもち、謙虚な態度が求められるのです。皆さんは本学において「仏教の人間観」という全学共通科目などでそういうことを学んでいただきました。これは、どんな職業に就こうとも、必要とされる高度な教養です。真理の前に謙虚にひざまずき、傲慢さを恥じる態度こそ、本学の目指す人間像です。
正門に「美しい世を拓く灯となるために」と書かれています。「美しい世」とは、そのような心の通った「人間性や豊かな世」という意味です。
最後になりますが、本学は地元地域との関係が密接な大学です。越前市、福井県のご協力に感謝するとともに、諸君が社会で活躍し、心豊かな人生を送られますこととを念じまして式辞といたします。
令和7年3月19日
仁愛大学 学長 田代俊孝